ダンナミュージック

2013年07月21日

ハシケン-凛

嫁さんと結婚して14年・・・・・・。
結婚前に屋久島で交通事故にあってしまい頼る相手もいないし、飯の準備も何をするのも大変。
鞭打ちと腰痛で苦しんでいた時、屋久島にすぐにかけつけてくれた嫁さん。
何故かそのまま婚姻届を出して都会に戻って行った嫁さん。
今まで疲れ知らず腰痛知らずで縄文杉も何連ちゃんでも平気な体だったけど、これからは体が動かなくなり仕事も無理できないのに結婚すると行動で示してくれたこと。
交通事故は被害者だけどこれから結婚するために今まで以上に働かなければと思っていたタイミングでの事故。
正直、ダンナは嫁さんとの結婚をあきらめかけていたのでびっくりでした。
遠距離恋愛?というかお付き合いするとなって結婚式まで4回くらいしか逢っていない。
それも結婚準備でダンナが嫁さんの実家に屋久島から行ったくらいだったかも・・・・。
超スピードでとんとんと進み・・・・・現在の細川家。
今も酷い腰痛に苦しむダンナですが支えてくれる嫁さんには感謝しています。

そんなあの頃、嫁さんを思い、よく聞いていた曲。
ハシケンこと橋本兼一さんの『凛』


hoso89 at 09:08|PermalinkComments(4)

2013年07月19日

ハシケン-グランドライフ

18年ほど前、屋久島で暮らし始めて生活や思い、色々な再スタートだったあの頃。
細川ダンナのテーマソングとでも言おうか、そんな曲がハシケンこと橋本兼一さんのグランドライフ。
あれから色々なことを男として父親として人間として経験して、またこの曲を聴くと思い返すことも多いのです。
『屋久島から逃げることなく、精一杯に生きる』
ダンナにとってそんな思いを何故か強く奮い立たす曲でした。



hoso89 at 20:52|PermalinkComments(0)

2011年03月12日

セクシーマイケル





もう大昔、初めてイン ザ クローゼットのPVを見たとき、あまりのマイケルのセクシーさに

『ダンナもセクシーになりたい』と秘かに思ったものです



そんなダンナですが『あなたにはセクシーさがないのよ』と言われ続けもうアラフォー世代。

セクシーとはすでに無縁状態

マイケル好きの長女と一緒にセクシーマイケルを見ると

『このマイケルはまだ私には早すぎるわ』と赤面する長女。



『うぅーん、そこまでセクシーコマンドーかっ・・・・・・セクシーマイケル




hoso89 at 09:56|PermalinkComments(0)

2011年03月01日

TOKIO HOTEL

ダンナはレディーガガとか衣装に凝るアーティストがとっても好き

最近のお気に入りはトキオ・ホテル・・・・・たまらん







Tokio Hotel(トキオ・ホテル)は、2001年に結成されたドイツのポップ/ロックバンド。

日本のヴィジュアル系に着想を得たバンドで、バンド名自体は東京のホテルとは関係なく、日本語が格好良いからという理由で命名された。このコンセプトは楽曲にも生かされており、歌詞に日本語を使用したものもある。

あどけない表情が残る若いメンバーで構成されているが、ヴォーカルのビル・カウリッツを中心に自らがつくる楽曲は本格的なもので、ドイツ・ミュージックシーンで多数の賞を受賞しNo.1の注目度を誇るバンドである。現在では、ドイツのみならず世界中にファンがいる。

by wiki



ドイツはベルリンの西に位置するマグデブルク出身の4人組バンド。バンドはシンガー・ソングライターのビル(18)と双子であるギターのトム(18)の二人から始まる。ギタリストの義父の影響を受けて音楽を始めたビルとトムだったが、ベースのゲオルグ(20)とドラムのグスタフ(19)に地元のライブ会場で出会い、Devilishというバンド名で活動を開始。バンド結成からわずか6ヶ月で初ライヴを行い、以降街中のライヴ・ハウスでバンド活動をしながら、安いスタジオを借りてレコーディングを試みる。経験と資金が足りず一旦はレコーディングを断念したが、2003年ドイツのオーディション番組でビルを見たPeter Hoffmanに見出された。そしてM_tley Cr_e、Jewel、Faith Hill、Falcoなど様々なアーティストと仕事をしてきたDave Roth、Patrick Benzner、Peter Hoffmann、David Jostというプロデューザーチームをむかえ、TOKIO HOTELの音楽の原点が作られていったのである。2005年、ユニバーサルミュージックとの契約後、バンド名をTOKIO HOTELに改名。彼らの年齢からは想像できない完成されたサウンドに評価が高まり、デビュー・シングル『モンスーンを越えて』はドイツとオーストリアのシングル・チャートにて1位を獲得!さらにデビュー・アルバム『トキオ・ホテル』でセンセーショナルを起こし、本国で60万枚超の大ヒットを記録した!ドイツ最大の音楽賞『Echo Music Awards 2006』で、4部門にノミネートされ、“ドイツ国内最優秀新人賞(Newcomer des Jahres national)”を受賞。その人気はドイツ本国にとどまらず、ヨーロッパ各地でプラチナ/ゴールドを数多く獲得し、カリスマモンスターバンドとしての地位を不動のものにした。

by official site in japan






hoso89 at 09:01|PermalinkComments(0)

2010年01月14日

亡念のザムド

地デジチューナー内蔵のHDDデッキを買ったので録画できるBS番組が増えました。
なにげなく番宣CMを見ていたらエウレカセブンみたいなアニメ『亡念のザムド』を知った。
早速、予約録画を『ポチッ』。
『うわぁ、面白い』と思うアニメにはアニメ製作プロダクションBONESが製作に関っている。
昔、毎週楽しみにしていた『エウレカセブン』もBONESが関っています。
ちょうど子供が見るアニメタイムと重なってしまうので大人気なくチャンネル争いをしてました。
はまっていくきっかけはエウレカの時もザムドの時も同じでOP、EDの楽曲に衝撃、アニメを観だしてだんだんのめり込んでいく行くのです。
OPはBOOMBOOMSATELLITES
EDはkyleeカイリーでアメフトNFLでアメリカ国歌斉唱したりと活躍する14歳の天才シンガー

hoso89 at 09:21|PermalinkComments(0)

2008年10月31日

with

中島みゆきさんのWithは私にとってくじけそうな時の応援歌だった。




当時、親の反対を押し切り、家出同然で離島へ旅立った日。

離島での生活に身を投じ、職業として確立されていない、安定しない自然ガイド、未来への不安。

何度もあきらめかけても、これしかないと自分を信じて生き抜いた日々。

電話もないので連絡手段は手紙。

極貧生活の中、過去、未来を考えたくなくても十分に考えることができた。

未来で私を支えてくれる人はどんな人なんだろうか?

そして家族で笑いあうことができるんだろうか?

恐ろしいほど不安の方が大きかったが、未来を信じて望んだ。



・・・・そして今に至ります。

自分が信じて進んだガイド業で自分だけでなくスタッフの生活も安定させられるようになった。

そして苦しみも悲しみも喜びも幸せもわかち合う家族ができた。

親との関係も良くなっていった。


あきらめなければ夢はかなうと思う。

私にはまだまだたくさんの夢がある。

必ず叶うと信じている。




hoso89 at 16:34|PermalinkComments(2)