2011年03月

2011年03月31日

手作りケーキのホワイトデー

もう3月も終わります。

震災の影響で屋久島の細川家も心を痛め、できる事を考えてきました。

福島の親戚にもようやく物資を送れる環境になり、これ以上、状況が悪くならないことを祈るばかりです。

モンベル・アウトドア義援隊に送った寝袋やテントも被災地に届いていることと思います。



3月は色々考えてばかりで落ち着かないダンナでしたが、子供達の明るさに救われました。

きっと被災地でも子供達の明るさが希望となっていることでしょう。

3月のイベントホワイトデーは何かいたようで、急にケーキを作ると言い出した長男。

どうやら、長女の気をひきたいという作戦のようです

長男は長女のことが大好き

誰よりも好きだけど、もちろん長男は相手にはされません。

サービス精神旺盛の長男は特大のケーキで女性陣だけでなく、男連中ももてなしてくれると太っ腹。

長男の話を聞いていると『きっと、こんな時だから家族で明るく過ごしたいんだな』と感じました。

一番、怖がりで、寂しがりやの長男も連日の大震災のニュースを見て不安を感じているのかもしれません。



長男のケーキ作りが始まりました。

ケーキのスポンジも嫁さんに教えてもらいながら自分で作りました。

気合を入れてクリームとトッピング。立派なケーキが出来ました。

長男の希望と心に応えてくれた嫁さんに感謝です。

長男もありがとう

ところで、長女に長男の気持ちは通じたのかな







『とっても美味しかったよ』とばばちゃん、嫁さん、長女は大喜びです。

女性陣に『また作ってね』と言われ、

いつも天邪鬼な長男も素直に『おうっ』と男らしく応えていました。

長男の作戦成功で屋久島の細川家は明るくなりました。


hoso89 at 06:40|PermalinkComments(2)長男のこと 

2011年03月30日

大震災前日の釣果

東日本大震災の前日3月10日に、いつもお世話になっている安房港の天啓丸でジギングへ行きました。

天候は曇り時々晴れ、いつも大荒れのジギングが多いですが心地良いジギング日和でした。

今回はダンナはずっと研究してきたスローピッチのみで勝負しようと考えてイメージトレーニングもしてきました。

本気でスローピッチジャークします



タックル

ロッド・スミスAMJ-SH63UL、リール・コンクエスト800F

PE2号、リーダー・フロロ20ポンド→途中で50ポンドに変更。

かなりのウルトラライトタックルですがジグは130g~180gを使います。



ロッド・エバーグリーン・ポセイドン・スローピッチジャーカー6オンス

リール・オシアジガー4000H

PE4号、リーダーフロロ50ポンド

スローピッチとしてはヘビータックルですがアベレージサイズが大きい事、潮がきつい事も考えてみました。

ジグは200g~400gを使う予定。



今回のメインはウルトラライトタックルで勝負・・・・・・。

前回の天啓ジギングで勉強させてもらった、ケヨロさんのスローピッチをイメージしてシャクルと小型のカンパチがヒット

子カンパチは何故か上へ上へと逃げるように浮いてくるので何か大型の魚に追われている感じです。

『でかいのが下にいる

ジギングメンバーもみんな腕を上げてきています。

そんな中でもスローピッチだと周りを観察する余裕もあるので、皆のシャクリを見て自分のシャクリ幅、スピードも改善させることができます

・・・・・・そして次々と2kg~3kg程の子カンパチは釣れます。

でも、でかカンパチは喰ってくれません。

ダンナのスローピッチにもカンパチは7匹ほどかかりましたが小さいのばかり・・・・・・・・

でも喰ってくれるので良い練習にはなります



スローピッチはティプを使い指先でジグを操るような感覚。

そして魚の捕食スイッチを入れて、喰わせるイメージ。

とっても面白い

しかも疲れにくいので体力の落ちているダンナにはベストマッチしたジャークだと思います。



色々な魚種が釣れるのもスローピッチジャークの面白さかもしれません。





イトヒキアジも初めて釣りました。

その他にゴマサバ、チレダイもしっかりと口にフッキングして釣ることができました



面白い外道?



クロサバフグ

毒は無いと言われ屋久島の魚屋さんでも売られていますが、毒サバフグなるよく似たフグちゃんもいるし、食べるのはあきらめました。

クロサバフグも絶対に毒が無いわけではないそうで・・・・・・・毒・・・・・・怖い



そして最後の一流しで嬉しいお土産が釣れました





ビッグサイズのキテンハタ

細川家の家族みーんな喜びます。



そしてジギング終了。

安房港へ帰る途中、何百匹という数のブリが海面で餌を追い、ナブラをたてているではありませんか

船長さんが船を止めてくれたのでキャスティング可能タックルをKさんにかしてもらい、ジグをナブラに投げ込むと



なんとヒットぉー

貸りたロッドを折られそうになりながらもダンナ『獲るよぉー』と叫ぶ。

『獲ったぞぉー』



ダンナにとって初の10kg越えのメモリアルフィッシュとなりました。



12kgの立派なブリでした。

『よーかかってくれたぁ

Kさん、ロッドを貸してくださりありがとう。



天啓丸の船長さんもこんなに大規模のブリの群れは初めて見たそうで、

別れ際に船長さんが『今年は色々ありそうだ』と言った言葉が耳に残っていた矢先の大震災だったので恐ろしくなりました。

生き物は天変地異を察知する能力があるとよく言いますがブリの群れもそうだったのかもしれません。

地震後は屋久島では大きなアオリイカが何枚も釣れたと最近聞きました。

今は釣りに行く気力もなくなってしまい、農作業ばかりしていますが、もうしばらくしたらジギングで気晴らししたいです。


2011年03月25日

みかんに付く虫がいる

おととしから定年退職を期に移住してきて嫁さんの両親は、屋久島生活がたいへん気持ちいいと毎日言ってくれます

子供達もまったく遠慮することなく、あっというまになついてしまいました。昔からお世話好きなじいちゃんは、孫達のお願いも聞いてくれるので、しょっちゅう孫におねだりされています。



長女「じいじのラーメン食べたいな~作って

長男「じーちゃん、おれ鉄砲が欲しいんだけど、木で作って

次男「じいちゃん、ぼくはでかい剣作って」(ファイナルファンタジーのクラウドの剣)



いつもいきなりのお願いですが、じいちゃんは仕事の手を止めて作ってくれます。

剣や鉄砲はもう何本作ったことでしょう・・・



お友達も加わり希望の図面(絵ですけど・・・)を持って長男は「じいちゃんちに行ってくる

一時間たっても、おやつの時間になっても帰ってきません。ただ、電動工具の音がしているので何かを作っているのでしょう。様子を見に行くとなんと長男達が電動サンダーを使いこなしています。えらい真剣です・・・。



いつもは出来上がった武器でひゃーひゃー遊んでしばらくすると、そこいらに投げているのでダンナが風呂のにくべてしまっていましたが、自分で仕上げた「俺の一品」は所定の場所に片すようになりました。



さて、そんなじいちゃんの日課は動物のお世話と、畑の管理です。

しかし、ある時じいちゃんが困った顔して来ました。



「なんかさーみかんの下の方の葉っぱだけを食べる虫がいるみたいなんだよきれいに葉っぱだけを食べるんだよ何の虫か知っている?」



見てみると・・・なるほどそのようですね。





しかし、これは・・・・近くの方に聞いて見ましょう

「ねえ、そこのあなた知ってる?」





「さあね~。



「またまた~、あなた達でしょう~





「ばれましたか



じいちゃんは、ヤギはみかんの葉っぱを食べないと思っていたらしく、みかんの木の近くに転々と繋いで行ったそうです。

どうりで、畑のみかんが下だけ丸坊主になってる訳です・・・。



孫にも動物にも大人気であるじいちゃんの屋久島生活は面白いです。






hoso89 at 08:56|PermalinkComments(2)ヤギの部屋 

2011年03月21日

成長に感謝

細川嫁です



次男くんもいつのまにか幼児園を卒園し、4月からは小学生になります。



いつもお兄ちゃんの背中を追っかけるように成長していきました。

なんでもそれなりにこなしてしまう長男くんをみて、まねをする次男くん。

たいていは同じように出来ません。



「僕はお兄ちゃんのようには出来ない・・・・



落ち込むというか、怒り出します



ダンナは「そりゃ一番小さい子だからなかなか出来なくても当たり前だよ、一緒に練習しようね。



嫁さんもいいますが、嫁さんが言ってもなかなか・・・・



ダンナは遊んでくれるし、一緒に寝てくれるし、次男くんにとって興味のある生物の先生でもあるので、信頼度が高い



しかも根気強く、接するダンナに次男くんはいつの間にか、長男君と同じ事をやって見せるのでした。

歳の差どおり、1年後には同じ時期にはそれ以上のことをやってのけた次男くん。

予想以上の成長に「親があきらめなければ、子供はどんどん育つんだね。」と実感させられました。(大変ですけど・・・)





世の中のお子さんはたいてい「お母さんがすき」といってくれるでしょうが、

我が家は皆そろって「お父さんが一番好き」といいます。怒るときはすご~く怖いダンナですが、やはりそれ以上に遊んでくれて、関ってくれることに愛情を感じてくれているんですかね。嫁さんは唯一ダンナに勝てる地位は、「ご飯」だそうです。・・・・ま~これでよしとしましょう。



細川家の長男くんと次男くんは年子なうえに嫁さんは事務仕事と家事に追われていたので、オムツのさんはほぼダンナが取り替えてくれました。それ以外もよくやってくれ、本当に感謝しております。





嫁さんの父さん(じーちゃん)もとっても子煩悩で、家事をよく手伝ってくれる人なので、「娘は父親のような人を好きになる」とはよく言ったものです。そう思うと子育てはすごく責任がありますね。

我が子がお世話になったクリスチャン幼児園(この3月で閉園です)ではこう教えてくださいました。



「子供は親が望むようには育たないけど、親がしたことをします



う~ん、すごく深い言葉です。



そういえば、屋久島で子育てをしながら

「あ~私が子供の頃、こんなことしてもらったな。よし私も同じこと位はしなくちゃ

と思い出しながら、節句やお祝い事をしたものです。子育てしながら母の気持ちを知り、今更ながら愛情を感じてきました。

ご先祖様に手を合わせることも、お花や絵を飾ることは、結婚するまで家を出たことが無い嫁さんにとっては、あまり気にしたことも無い事柄でしたが、親と離れ家庭を持つことによって思い出しながら築いていった10年でした。



それから2年、こうしてご飯の冷めない距離で3代に渡り仲良く暮らせることは、これまた母が同居の姑さんをなんだかんだ言いながらも大切に最後まで面倒みて96歳で天へ送りだした母の苦労を、子供は無関心のようでも、お年寄りの面倒を見るのは当たり前なことと普通にインプットさせてくれました。ダンナのお家もお姑さんが居たので、私達夫婦はすったもんだがあってもそれが普通の感覚です。ダンナの母はお兄さん夫婦と二世帯同居なので(これまた優しくていいお嫁さん)、嫁さんの両親をよんでくれてたのはダンナでした。私は結婚して二度と両親とは暮らすことは無いのだな・・・と思っていたので、すごく嬉しかったです。また何より、子供達が大喜びで予想以上でした。



そんな想いが次男くんの卒園というタイミングによぎりました。

事故で一時はどうなるかと思い、助かっても言葉を話せなくなった次男くん。その後の検査でもますます心配なことを言われましたが、励ましてくれる方、協力してくれる方、皆さんのおかげで無事に成長いたしました。

いつも感謝しています。



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次男くんと嫁さんで作った、きのこびと。キモカワ






hoso89 at 09:10|PermalinkComments(0)次男のこと 

2011年03月20日

クリスチャン幼児卒園・閉園

次男くんと歩んできた年月はダンナにとってかけがえの無いものになりました。

次男くんの事故で『この子を守る』と決心してからは仕事を制限して子育てに専念してきたダンナです。

色々な想いが重なるなかで、成長していったのはダンナのほうだったと思います。

ダンナが事務仕事をしても現場仕事に行かなければ家計を支える収入もすくなくなるし、ローンもある。

心配する嫁さんの方が現実的なことはわかる・・・・・・・。

でも、次男くんが命の炎を削ってまで私たちに求めたことには必ず意味がある。



『なんとかなる』

『男が子育てに力を注いで何が悪い』



行動から起こしたダンナですが正直なところ不安しかなかった。

そんなダンナの子育てですが、あきらめずに接することで、少しづつ成長していく次男くんを見て思った事は

『他の子供の成長と比べてもしかたがない、今に感謝しよう』

『命が消えることなく家族のもとに戻ってくれた次男くんの役目がある』



心配していた幼児園への入学も受け入れてくださり、次男くんの園生活が始った時の事を思い出します。

幼児園にいる間は長男が次男くんを守り、ダンナと同じような気持ちで成長を喜び支えてくれました。

長男が卒園して年長となった次男くんはすっかりお兄さんになり、

なんでもできるようになったことで兄弟喧嘩も毎日です

『俺が本気だしたら次男くんなんて大変なんだぞ』と長男

異常なほどに強い長男が次男くんに手加減してくれているのはダンナが一番わかっています

長男は次男くんを大切に守ってくれていた・・・・・素晴らしい兄でした

今は長男も一目置くほど・・・・・に成長した次男くんはもう何の心配もありません





そして卒園式を迎えることができました。

閉園ということもあり、とっても長~い式になりましたがクリスチャン幼児園の子供達はお行儀がとてもよく、精神力もとっても強いです

園長先生がクリスチャン幼児園を一言であらわすならば

『献身的な奉仕』とおっしゃりました

『義理の奉仕とは違います。色々な愛がありますが、そこに本当の愛があった』と・・・・・。

おじいちゃん先生とおばあちゃん先生の50年という献身的な奉仕は幕を閉じました

細川家子供達三人が先生ご夫婦の献身的な奉仕と愛のおかげで、今も立派に成長し続けています



細川家を支えてくださったクリスチャン幼児園でお世話になった先生方、デイケア縄文の先生方に心から感謝いたします。

次男くんは立派に一年生になることができます



自己満足ですがダンナも一つの節目を迎えて『やりとげた』と言う気持ちです

子供は成長と共に色々な問題がおこってくると思います。

『もうお父さんとは関りたくないと言われるほど関ってやろう』と気分新たに頑張ります。








hoso89 at 09:44|PermalinkComments(2)次男のこと 

2011年03月18日

屋久島での喜び

毎日テレビで災害のニュースを見続けてもしかたがない、今できることは出来る限りはやったつもりです

いつまでも屋久島で悲しんでいても何も解決はしない

日々の生活をすること、体を動かすことで気分を変えていかなくては・・・・・・。

チェーンソーで木々選定、薪割り、草刈り・・・・・・色々な作業を屋久島ではしなくては生活できません。

庭の花を眺め、季節の移り変わりを感じて、必ずやってくる明日に向かうこと

そして、家の中でも嫁さんが花を飾ってくれる・・・・・いつも明るく家族支えてくれる嫁さんにいつも感謝しています。

屋久島での喜びをありがとう。

by細川ダンナ



毎週日曜日に開催している「高平ニコニコ市」。

とにかく安くて、あまり無人市と値段が変わりません。

野菜が豊富な時期は1週間分の野菜を買っておきますが、無農薬が多いのか冷蔵庫で持ちがいいのです。

それに、種類が豊富なので、我が家にない物もたくさんあってついつい買い込んでしまいます。

細川家のお野菜はじいちゃんが作っていますが、無農薬、無化学肥料で作っています。堆肥もEMを入れて作っています。

平飼いのウコッケイとインギー鶏も、とってもおいしい卵を産んでくれますので、次男くんは卵かけご飯が大好きです。「高平ニコニコ市」に出してもすぐ売り切れてしまう人気です。



新鮮「高平ニコニコ市」で毎週必ず買うものが「お花」です。

だって、安くてかわいい子がたくさんあるんですもん

ダントツNO,1の売れ筋は切花なんですって。



お部屋にお花が活けてあるとすご~く雰囲気がよくなるので、なるべくきらさない様にしています。

ダンナもお花や植物が大好きなので、その辺はよく気が合います。

嫁さんが新しい服を着ていても何も言わないのに、新しいお花には感想をくれます・・・それもちと問題ですが



そういえばダンナが独身のときに住んでいた家に植物があったことに、嫁さんは驚いたものです。

「わあ~若いのに男の人で部屋に観葉植物飾るなんて・・・そんな感性がいいな



そして結婚してから植木を買ってくるのはダンナ、切花を買ってくるのは嫁さん。

そんな感じで楽しんでします。



お花屋さんのお花はもちろん素敵だけど、安くてかわいいお花が買えるのは幸せです。



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これは無人市と高平ニコニコ市購入。100+100=200円なり

by細川嫁












hoso89 at 09:14|PermalinkComments(0)屋久島徒然 

2011年03月16日

これからの覚悟

未曾有の大災害となった東日本大震災で多くの方々の犠牲を無駄にしないと心に近誓い、これから私たちに起こることを予想して危機管理、準備をしていかなくてはなりません。

ダンナは地震、津波、噴火、原発の想定を大きく超える脅威に負けない、生きる覚悟を決めました。



いまだ混乱しているとは思いましたが、さっき福島県いわき市の親戚と電話で話しをすることができました。

家が無事だったことが幸いして、家族全員が一緒にいますが放射能の影響で家からは出られずにいるそうです。

茨城県つくば市の避難所へたどりついた福島から県外退去した人たちのニュースを見ました。

皆さん、原発の放射能を避けるための県外退去だと語っています。

親戚の地域はどうやら水戸方面への通行が可能になったそうですが、ガソリンが無いので家の中で耐えているとのことです。子供達もどんなに心細いことか・・・・・・ダンナも涙がでます。

おばさんは『お米だけはあるから・・・・・』と・・・・・・・・・・・。

力になれない自分に苛立ち、なさけなくなります。

いわき市では物資、医薬品が不足していると市長がコメントしていましたが『放射能の危険から物資輸送を嫌がるのでは』と苦しい胸中を語っていました。

なんとか、あきらめずに希望をもってください。


hoso89 at 15:55|PermalinkComments(0)屋久島徒然 

2011年03月14日

東北地方太平洋沖地震発生時のダンナ

世界最大規模のM9・0の大地震となってしまった東北地方太平洋沖地震。

被災地の皆様は大変だと思いますが何とか頑張っていただきたいです。

この悲惨な状況で、一人でも多くの命が助かりますように・・・・・・・再会できますように。



細川家では少しでも力になるため、家の寝袋やテント、衣類、飴、オムツなどを集めてモンベル義援隊に送る準備をしました。被災地の方々の役に立てればありがたいです。



福島浜通り地方の親戚家族の無事が今朝6時にわかりました。

家族全員が無事、海岸沿いで仕事をしていたおばさんもすぐに帰宅したので助かったそうです。

被災地からの電話もこちらにはつながらなかったそうで、今は電気がついたり、消えたりしているようです。

この混乱の中、各避難所の避難者名簿をまとめるのも大変なことだと思いますが安否確認がとれるシステムを待っています。



今も安否のわからない宮城でトマト農家をしているお姉ちゃん。ダンナが小さい頃にたくさんお世話をしてくれた恩人です。

昨日はテレビで津波に潰されるビニールハウス畑の映像を見ました。・・・・・・無事を信じて祈るばかりです。



忘れないうちに屋久島で大地震直後にダンナが見た自然の変化やそのとき感じた状況をブログに記録しておこうと思います。

2011年3月11日は土地開拓作業を14時40分頃に中断して、二ヶ月ぶりにヒラスズキ狙いで、海岸へ車を走らせました

15時00分、到着して海を眺めると大潮の干潮時よりも潮が引いている。

『今日は小潮なのにおかしい

とりあえずポイントまで様子を見に行くと普段は波がかぶって近づくことができない場所まで歩いて行ける。

『あれっ?・・・・・・・これは津波の前兆か?』と考え始める。

ヒラスズキはピンポイントでポイントをたたく釣りなのでここぞとばかりに普段ルアーを投げられないポイントを探るも、あたりはない



町内放送が流れ始めた・・・・・でも風の音で内容はよく聞こえない・・・・・・・・・。

『・・・・・・・やっぱり津波が来る』と確信

波がくだける磯を陸に向かって歩き始めると携帯が鳴った。

15時16分、嫁さんからで『五時くらいに津波が50cmくるらしいからさ、帰っておいで



この潮の引き方は50cmレベルの津波ではない・・・・・・・。

おそらく2mちかい津波が来そうだ・・・・・。

防災無線の放送は磯で釣りをしていたら、ほとんど聞こえない・・・・・・他に人が居ないか周りを確認。

一組のカップルは磯から離れ非難していたので、ダンナも足早に磯を離れることにしました。



すぐに車に戻り、帰宅途中。

15時38分また携帯がなった。

『今どこ?もう釣りしてないよね?大変なことになってる。岩手の地震で津波がきて・・・・・・・』

『東京でも・・・・・・・』



帰宅すると東京の実家とは連絡がとれましたが、外出している家族の安否は不明でした。

すぐにテレビをつけて情報確認をはじめました。



17時10分 屋久島に津波到達1m50cm

東京の家族の無事を確認。

埼玉の家族の無事を確認。



今回役に立ったのが矢口高雄先生の漫画、『激濤 Magnitude 7.7』

磯場で釣りをしている時の津波発生状況は漫画でイメージができていたので、すぐに津波だとわかりました

もし震源が屋久島から近いようなら、漫画のようにあっというまに津波が押し寄せてきたことでしょう

3月10日は中止になった三島遠征のかわりに、いつもお世話になっている天啓丸で半日ジギングに行きましたが地震前日で助かりました。・・・・・・(ジギングの釣果も落ち着いたらご報告します)




2011年03月13日

モンベル・アウトドア義援隊

モンベル義援隊からのご案内 4/20



地震直後からの呼びかけに、国内外の法人・個人の皆さまから、

トラック積載量にして300トンの援助物資が集まりました。

温かいご支援、ご協力、誠にありがとうございました。

【活動内容の報告】

http://about.montbell.jp/release/disp.php?infomation_id=147

【変更内容について】

http://about.montbell.jp/social/support/od_gientai/◆援助物資の受付については終了させていただきました。

◆今後は、モンベル仙台店に拠点を移し、被災地のニーズに

対応しながら活動を続けてまいります。



【モンベル仙台店】

〒980-0811 仙台市青葉区一番町2-1-2 NOF仙台青葉通りビル1F

現地本部TEL 090-5250-2172



なお、復興が長期的なものとなることを踏まえ、

援助金の受付は継続させていただきます。

引き続き、温かなご支援とご協力を賜りますよう、

よろしくお願い申し上げます。

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3/13 細川家ブログ記事



東北地方太平洋沖地震の被災地へ細川家でも何かできないかと考えて・・・・・・・・。

物資を送っても届くのか?・・・・・・。

お金を送っても被災地域の方々に使ってもらえるのか?・・・・・・。

いまだ、細川家と関わりのある宮城県、福島県の大切な人とは連絡も取れない状態。

被害状況があきらかになるにつれて、災害規模の大きさにダンナの心に落ち着きがなくなってきました。



そんな心境の中、一通のメールが届きました。

日本を代表するアウトドアメーカーのモンベルがアウトドア義援隊を呼びかけてくれました。

物資、援助金も責任をもって被災地域の方々へお渡ししていただけるはずです。

観光業、アウトドア事業者だけでなく、沢山の方々の協力をお願いいたします。



詳しくは↓をご確認ください。



■■■■■■■■■■■■ アウトドア義援隊 ■■■■■■■■■■■■■■

http://about.montbell.jp/release/disp.php?site_category_id=15&infomation_id=145

取り急ぎのご連絡とお願いです。

今般、東北太平洋沖大地震の被害に対する援助を、アウトドア業界に従事されている皆さんに、以下の通りご協力お願い申し上げます。



1) 物資の協力=被災地で役立つ物資

テント、寝袋、ガスストーブ、食品(生ものは除きます)、その他



【送り先】

〒994-0001

山形県天童市万代1-1 ミツミ電機内 アウトドア義援隊

TEL:090-1250-0487 

(お問い合わせは、この電話番号ではなく、下記で記す番号にお願いします。)



2) 援助金



【振込先口座】

三菱東京UFJ 信濃橋支店 普3963129

アウトドアギエンタイ ダイヒョウ タツノイサム



3) ボランティア(人手)=現地で支援物資の配布などの活動できる人

衣、食、住、移動手段は各自でまかなうこと



【現地連絡本部】

〒980-0811 宮城県仙台市青葉区1番町2-1-2

モンベル仙台店内 アウトドア義援隊現地本部

電話022-216-3156

(お問い合わせは、極力、この電話番号ではなく、下記で記す番号にお願いします。)



────────────────────────────────────



阪神淡路大震災のおりにも皆さんに呼びかけさせていただいた結果、微力ながらも被災者の皆さんのお役に立つことができました。

今般の津波を伴う震災は規模も大きく、長期にわたる支援が必要とされると思われますが、取り急ぎ出来ることから着手させていただきたく、皆さんのご協力をお願いします。



2011年3月12日

大阪市西区新町1丁目33-20 株式会社モンベル内

アウトドア義援隊 代表 辰野勇



担当 広報部 佐藤和志

add@montbell.com

電話06-6531-5524



1) 物資の協力 3) ボランティア についてのお問い合わせは、

モンベル広報部 電話06-6531-5524 add@montbell.com か

モンベルクラブ事務局 片岡 電話06-7670-3186

y-kataoka@montbell.com へお願い申し上げます。

【送り先】・【現地連絡本部】へのお問い合わせは、極力お控えくださいませ。


hoso89 at 08:38|PermalinkComments(0)屋久島徒然 

2011年03月12日

セクシーマイケル





もう大昔、初めてイン ザ クローゼットのPVを見たとき、あまりのマイケルのセクシーさに

『ダンナもセクシーになりたい』と秘かに思ったものです



そんなダンナですが『あなたにはセクシーさがないのよ』と言われ続けもうアラフォー世代。

セクシーとはすでに無縁状態

マイケル好きの長女と一緒にセクシーマイケルを見ると

『このマイケルはまだ私には早すぎるわ』と赤面する長女。



『うぅーん、そこまでセクシーコマンドーかっ・・・・・・セクシーマイケル




2011年03月11日

食害?

色々な離島で置き去りにされてしまったヤギが小さな島を食害していると耳にしますが

屋久島にも野生化したヤギが高平地域から平野地域あたりまでの海岸ではよく見かけます。

トカラヤギ系だと思います。

トカラヤギはもっと小型と聞きますがうちのシバヤギよりもかなりり大きく見えます。

最近問題となっているヤクシカの食性とそう変わりはないと思いますので食害もあるのかもしれません。

細川家の場合はタンカン、びわなどの果樹の葉を食べてしまいます。

放牧すると大切に育てている庭木にも被害があります。

バラとか・・・・・園芸品種を・・・・・。

※画像はフウトウカズラを美味しく頂いているところ





ヤギが好きな葉っぱもだんだんとわかってきたのでご紹介。

第五位 フウトウカズラ

第四位 センネンボク(ドラセナ)

第三位 ハドノキ

第二位 ハイビスカス

第一位 アオモジ



第五位から二位まではどれも同じくらい好物であるように思いますが

第一位のアオモジはヤギを狂わせます

確かにレモンのような香りがして旨そうですがヤギを狂わせる何か秘密をもっていそうな気がします。

いつも落ち着いてあまり鳴かないユキちゃんが『ウンメェェェ~』と叫びますしね。

好きな植物もあれば嫌いなものもあって、

畑によく発生する有毒のキツネノボタンを普通に食べてますが無毒のムラサキカッコウアザミなんかは口にもしません。

ダンナとしては全ての雑草を食べてほしいのですが

ヤギ飼育の書籍を読むとヨモギが大好きと書かれていますが

『まー他にないなら食べるけどさぁ』というレベル。

細川家では毎日移動しながら除草に役立っていますが雑草がなくなることはありませんね。

移動しながら美味しい部分だけを食べ歩き、数日するとまた新芽が伸びてまた食べるという繰り返し。

糞も畑の肥料になるし、鹿みたいな固形なので集めやすく掃除も楽。

しかし、草や葉っぱだけを休む暇なくよく食べるので野生化して増えすぎると問題はおきるのは間違いないです。

しっかり飼育管理できる人ならば、ダンナはとてもエコな生き物だと思いますがどうでしょうか?。

ヤギのいる生活は楽しいです






hoso89 at 09:05|PermalinkComments(3)ヤギの部屋 

2011年03月08日

ウッカリカサゴと格闘

以前、トヨタ、シエンタのCMで安田成美さんと子役が歌ってた横浜銀蝿の「尻取りロックンロール」の替え歌に出てきたウッカリカサゴ。





ウッカリカサゴは実在するのです。

由来・語源はなぜ「うっかり」かというと、著明な魚類学者が和名を整理、名づけることにいそしむうちに、ほとんど名づけ終わったと安堵していたら、なんと毎日見なれたカサゴが別種であり、これを発表し忘れていた。「うっかり論文を発表し忘れたため」。「他のカサゴとうっかりすると区別がつかないカサゴ」でウッカリカサゴになったらしいです。



ダンナが釣ってきたウッカリカサゴ・・・・・。

こんな風貌・・・・・水深140mの海底から釣り上げられたウッカリちゃんは目が飛び出てこんなんです。









最近は長男が鱗取りを手伝ってくれます。

これも親子道場のトレーニングみたいなもの・・・・・。

勉強や運動だけでなく興味のあることを何でもやってもらいたいのです。



怪我をしないように鋭い棘をキッチンバサミで切り落として、いざ男のお手伝い





長男『キティーもお手伝いしたいの?』





キティー『私にもやらせなさいよ





長男『もーぅ、邪魔しないでよ。でもキティーはかわいいなぁ



寿司屋になりたいと言う、長男君、とても綺麗に鱗を取ってくれました。

ありがとう長男君、『魚をさばける男は女にもてるぞぉー
















2011年03月07日

高平ニコニコ市で千円

毎週日曜日は8時半くらいから夕方15時半くらいまで

高平ニコニコ市で野菜や雑貨、衣類など色々なものを販売しています。



細川家も野菜や果物、衣類、雑貨など出しています。



とても新鮮な野菜や生花が売られているので出荷ついでに買い物もしてきます。

なんと千円でこれだけの買い物ができました





ナイスです

高平ニコニコ市


hoso89 at 09:25|PermalinkComments(0)屋久島徒然 

2011年03月06日

2011年の雛祭り

細川家は日々花が飾られていていたりする女性的な家です。

女性の感性はとても豊かなんでしょうね

花が飾られているだけでも家の空気が違います



結婚してからは季節の行事が行われるようになりましたが、

一人のときは興味がなかった雛祭りも今では当たり前のように家族で祝っています。

普通に家族で季節を楽しみ、お祝いできることはとっても幸せなことです。



お雛様も飾られて喜んでいるきがします



今年はキティー(猫♀)も初雛祭りになりました



『ババちゃん、嫁さん、長女、キティー(猫♀)、いつも家を明るくしてくれてありがとう。』

『いつまでも輝いていてね


hoso89 at 15:56|PermalinkComments(0)屋久島徒然 

2011年03月04日

ドンベア

今年はとっても寒い日が続いたので、お庭の熱帯花木達は葉を落とし、お枯れ気味

いつもよりも少し早く河津桜が見事に満開、梅、スモモの花が咲きました。

春の訪れは感じることができますが・・・・・・・。

いつも咲くオオベニゴウカンは元気がなく花つきが悪かったり、熱帯花木にとっては厳しい冬だったのがわかります。

これから暖かくなったら、きっと元気に復活することでしょう。



元気のない細川家のお庭には耐寒温度0℃と比較的寒さに強い『ドンベア』が花を咲かせています。

挿し木用に一本もらった枝が少しづつ成長して初開花しました

とてもかわいいお花で見ているだけで心が和みます







ドンベアの由来はフランスの植物学者Joseph Dombeyの名から付けられたそうです。

アオギリ科 半耐寒性常緑低木、原産地:アフリカ・マダガスカル

英名:Ball Tree 開花期:種により異なる 花径:20cm 樹高:2~3m(原産地では4mにもなる)




hoso89 at 09:13|PermalinkComments(0)庭の花 

2011年03月03日

半成人式

ダンナが10歳の時は半成人式をした記憶はないのですが・・・・・・・・・。

鹿児島に住み始めてローカルニュースを見ていたら『半成人式』という行事があることを知りました

『半成人式とは粋な行事』だなぁと感心します

10歳にもなれば色々なことを自分で理解するようになり、将来の夢も考え始める



ダンナが10歳の頃の夢は『生物学者』

その夢は勉強があまりできなくて叶いませんでしたが自然や生き物が好きという気持ちは変わらず成長し、

偉大な自然の役割や生物の生き様を案内するネイチャーガイドという業種をつくり上げることができました。



わが子が10歳を迎え、親として半成人式に参加することで、

子供にとっても親にとっても『重要な時期』なんだと思いました。

何でも自分で考えて行動できる年頃ですが、親も子もお互いをわかり合い、相談できる関係、そして支えて応援してあげられる親にならなくてはと気が引き締まります。



少ない同級生ですがみんな大きな夢を持ち、発表する姿は素晴らしいものでした

男の子はサッカー選手や野球選手、スタントマン。

女の子はパティシエ、看護士、管理栄養士、デザイナー、歌手と様々。



長女の夢は一年生の頃に聞いたまま、いつも言葉にしてダンナに言い続けてきた夢

半成人式を迎える前から夢を叶えるために、痛いこと辛いことも努力で乗り越えてきたのをダンナは見てきました。

堂々と発表した長女の顔は、今までの決心をダンナにぶつけるかのような良い顔をしていました







成人式の頃はやりたいことや夢も変わっているかもしれませんが、行動して決めるのは長女。

ダンナはその夢を応援していきます。

半成人式おめでとう。

立派な10歳に成長してくれてありがとう。


hoso89 at 08:55|PermalinkComments(0)長女のこと 

2011年03月01日

TOKIO HOTEL

ダンナはレディーガガとか衣装に凝るアーティストがとっても好き

最近のお気に入りはトキオ・ホテル・・・・・たまらん







Tokio Hotel(トキオ・ホテル)は、2001年に結成されたドイツのポップ/ロックバンド。

日本のヴィジュアル系に着想を得たバンドで、バンド名自体は東京のホテルとは関係なく、日本語が格好良いからという理由で命名された。このコンセプトは楽曲にも生かされており、歌詞に日本語を使用したものもある。

あどけない表情が残る若いメンバーで構成されているが、ヴォーカルのビル・カウリッツを中心に自らがつくる楽曲は本格的なもので、ドイツ・ミュージックシーンで多数の賞を受賞しNo.1の注目度を誇るバンドである。現在では、ドイツのみならず世界中にファンがいる。

by wiki



ドイツはベルリンの西に位置するマグデブルク出身の4人組バンド。バンドはシンガー・ソングライターのビル(18)と双子であるギターのトム(18)の二人から始まる。ギタリストの義父の影響を受けて音楽を始めたビルとトムだったが、ベースのゲオルグ(20)とドラムのグスタフ(19)に地元のライブ会場で出会い、Devilishというバンド名で活動を開始。バンド結成からわずか6ヶ月で初ライヴを行い、以降街中のライヴ・ハウスでバンド活動をしながら、安いスタジオを借りてレコーディングを試みる。経験と資金が足りず一旦はレコーディングを断念したが、2003年ドイツのオーディション番組でビルを見たPeter Hoffmanに見出された。そしてM_tley Cr_e、Jewel、Faith Hill、Falcoなど様々なアーティストと仕事をしてきたDave Roth、Patrick Benzner、Peter Hoffmann、David Jostというプロデューザーチームをむかえ、TOKIO HOTELの音楽の原点が作られていったのである。2005年、ユニバーサルミュージックとの契約後、バンド名をTOKIO HOTELに改名。彼らの年齢からは想像できない完成されたサウンドに評価が高まり、デビュー・シングル『モンスーンを越えて』はドイツとオーストリアのシングル・チャートにて1位を獲得!さらにデビュー・アルバム『トキオ・ホテル』でセンセーショナルを起こし、本国で60万枚超の大ヒットを記録した!ドイツ最大の音楽賞『Echo Music Awards 2006』で、4部門にノミネートされ、“ドイツ国内最優秀新人賞(Newcomer des Jahres national)”を受賞。その人気はドイツ本国にとどまらず、ヨーロッパ各地でプラチナ/ゴールドを数多く獲得し、カリスマモンスターバンドとしての地位を不動のものにした。

by official site in japan