2009年01月
2009年01月24日
薪割り機の威力
細川家では薪風呂、薪ストーブに利用するために防風林の選定や開拓で切り倒した樹木で薪を作ります。
しかし「もう人力では割れませーん」という巨木ばかりが残り薪が少なくなってきました。
『薪が少ないよー』と嫁さんの薪割れよの催促が始まったのでダンナの重い腰もあがった。
「さて・・・・・もうダンナの力では・・・・割れん」
正直、本当に使える機械なのか心配がありましたが『薪割り機買っちゃおー』と決断。
今までチェーンソーで切り倒した樹を小分けにしても運び出すのがしんどくて大変な思いをしてきましたがうまくいけば、細かい薪にした後に運び出すことができます。
チェーンソーで細かくするのは量も多いので効率が悪かったんです。(ガソリン高いし)
薪割り樹が細川家に到着・・・・重い・・・・50kgぐらいある。
軽トラックに乗せて、まずは一昨年に運んで積んで置いた大量の丸太をやっつけてやる。
「ウィーン・・・・・バリバリ」
あんなに割れなくてあきらめていた丸太が夢にまで見た薪に・・・・幸せ。
どうしても割れない丸太はチェーンソーで小さくしてから割ると簡単に薪に変身。
良い機械を買いました。
2009年01月22日
屋久島産の車海老
長女のレスリング仲間のお父さんから活車海老を頂いた。
なんと車海老の養殖がお仕事なのだ。
屋久島の海沿いを車で走ると、たまに目に入ってくる丸いプールが養殖場。
ダンナが屋久島に住み始めるずっとまえから車海老の養殖は屋久島であったみたい。
その後、うなぎやドジョウの養殖業も聞くようになりましたが今は無いのかも・・・・・。
聞かなくなりました。
屋久島産養殖うなぎはよくスーパーの店頭にも並びお味もかなり美味しくびっくりしました。
最近はないのでがっかりですよ。
そんな中、車海老の養殖はうまくいっているんですね。
とても難しいとは聞いたことがあります。
嫁さんは生きている車海老をどうやって料理すれば良いかわからずに結局エビフライと正月のお節に。
エビフライ激うまでしたね。
吸い付いて味噌まで食べてしまいました。
年末に販売チラシが新聞折込に入っているけどなかなか食べる機会がなかったですがお勧めです。
詳しくは↓を見てください。
車海老養殖の歴史なんかも載っています。
ダイフク水産
2009年01月15日
屋久島の雪遊び
気候が温暖な屋久島ですが冬は例年どおり山間部では雪が積もります。
ふもとでも霙や霰、裏の山は雪化粧・・・・でもハイビスカスやブーゲンビリアが咲いています。
新年早々から山間部の県道と町道は通行止めが多くなり、たまに解除されると
『雪、見に行こうか・・・・・』
子供たちと手軽に雪遊びができるのはヤクスギランド。
スコップにソリ、クーラーボックスを持っていざ出発。
まだ強い寒気は来ていないので10cmくらいの積雪。
子供たちが遊ぶにはちょうど良いです。
手袋や防寒着を着ているけどすでにビショビショ雪合戦。
寒くなる前にヤクスギランド内を散策。
観光のお客様が来る前に一生懸命雪かきをしてくれていますが細川家としては雪が積もっているほうが楽しいです。
はじめは元気だった子供たちもだんだん早足になり
「寒いぃ~うぅぅぅぅ」と震えだす。
無事に入り口に到着するも「早くかえろー」と寒さにダウン。
毎年、雪遊びに来るけどまだ小さいせいか、雪に触れたことを忘れてしまうわが子。
でも屋久島は日本の四季を見ることができるので日本らしさを思い出すことができる。
『素晴らしい島』です。
この島を子供たちの故郷にしてやれて良かった。
2009年01月13日
2009年01月12日
家族の絆と子供の生命力
2008年は細川家の家族にとって、とても充実した感謝しかない年だったと思います。
特に次男の成長は他人から見ても安心できるほど急成長したと感じられるほどです。
思えば次男の水難事故から、成長の遅れが気になりダンナは自分を責めて落ち込んでばかり、
幼児検査に行くのが恐ろしくて心が壊れそうになったことも・・・・。
そんな中「この子はあきらかにおかしい」と言う小児科の先生の一言から
『そんなことはない俺がこの子を守り愛してやれば・・・・』と強く思うようになった。
ダンナは悔しかったんだと思う。
小児科の先生が言うならそうなんだろう、だけど認めたくない・・・あきらめられない。
結果がどうであれ、これからの覚悟を決めるために鹿児島本土の病院に検査に行くと
結果は「事故のせいではない・・・大丈夫」その結果を信じて頑張ろう。
次男の生命力に感謝して親父として子育てしなくてはと家族との絆を確認しあった。
そして2008年春、次男は幼児園に入園し、親の代わりに一緒にいてくれる、やさしく強い長男。
日に日に園生活にも慣れて、家族みんなで次男の成長を喜んだ日々。
1番になった運動会。
1番になれなくても泣きながら最後までゴールした町民体育祭。
2008年の締め括りイベント、クリスマス祝会ではゆり組男子の隊長としてはりきって、みんなに笑顔をくれました。
お手伝いに来ていたデイケア縄文の先生からみても
『もう心配ないね』
うれしく、ありがたい言葉でした。
次男の事故をきっかけに家族・・・・・特に夫婦の仲もよくなり次男のおかげで気付く事ができた。
親として願うことは子供たちが無事に成長して家族を守り、立派な親になってくれること。
『親父の役目は重要』
子供たちは親父の背中を見て成長していくと、子供をみているとわかります。
家族一丸となって次男を守り愛し、喜んだ一年でした。
次男のこれからの成長も楽しみ次男がいてくれて良かった。
2009年01月08日
2008年ジギングおさめ
2008年最後のジギングということで楽しみにしていたジギング。
近頃はジギングに行っても疲れが残ることも無く、普通に生活できるようになってきたのでかなり余裕をこいていたダンナ。
前日は子供達のレスリング練習に付き合い、長距離、短距離ダッシュ、マット運動などフルにいつも以上の力で参加・・・・いやいや本気でやりました。
それでもジギングは大丈夫・・・・全然平気・・・・そう思っていました。
ジギング当日・・・・筋肉痛も無し・・・。
「肉体改造成功」と一人で喜んでいざジギングへ出発。
いつもの浅場でダンナ連続4ヒット、3バラシ・・・・・・悲惨です。
一番のヒット率でも捕れなければなんにもなりません。
なんとか1本捕ったものの精神的に凹みます・・・・・(泣)
ウルトラライトタックルなのでロッドでのあわせでは不十分、巻き合わせをしなくてはせっかくヒットしてもダメダメです。
しかも前日のトレーニングのためか、疲労する時間が異常に早い。
いつものようなジャークを持続することができない。
結局、深場でもヘビータックルを持続することができずに最後はウルトラライトタックルに変更。
とても渋い中、ダンナのタックルに小さいカンパチがヒット。
でも腕が千切れそう・・・・。
『ジギングをなめるな』
今回の教訓です。
あらためて我が子達の底なしの体力と練習量に驚かされました。
あのパワーは凄い。
これからはレスリングの練習に付き合うときは幼児に合わせていきます。
今後のジギング課題が沢山でてきました。
屋久島海域は憧れの遠征地だからもちろんウルトラヘビー、ヘビータックルが必要なのはあたりまえ。
でも、もっと気軽にジギングを楽しめるタックルや技術を考えていきたい。
ライトタックルで大物を捕れる技術も考えていきたい。
色々なジギングスタイルを身に付けたい。
今後の夢を実現する為に・・・・・。