2006年02月

2006年02月28日

ナイトオブゴールド



プラモデル。小学生くらいからガンダムが流行して、模型屋に並んで買った思い出があります。

大人になった今でもガンプラとかロボットプラはなんだか欲しくなってしまう。

プラモなんて作ろうものなら、子供たちにめちゃくちゃにされてしまうのが落ちです。

でもダンナは三十路突破してなお、子供の目を盗んで少しずつお気に入りのロボを完成させました。

ファイブスターストーリーというマンガ(中学生の頃連載され三十路になってもまだ11巻しかでてない。去年、昔映画になった1巻がDVDで発売)にでてくるナイトオブゴールドという金ぴかのロボット?

バンダイのガンプラみたいに簡単なのを想像していたのに「おいっ。オスメスの窪み無いじゃん」はめるというより接着するという大変ダンナには難しい造形になった。

定番のセメダインを使用し何度も手首とか指がつるほどなかなか接着できない。

後になってプラスチック用アロンアルファーだとだいぶ早くくっつく事がわかったが後の祭りだ。

ネットで他の人が作ったものを参考にしようと思ったら、プロっぽい人でも処女作は自立して立てない物があるほどだそうな・・・・・。

ダンナにはガンプラくらいが調度いいことがはっきりわかりました。

嫁さんには「こんなの何処に飾るのよっ」と怒られてしまいましたが、でも楽しかった。

十五年ぶりに作ったプラモだもん。

またお小遣いで買おうかな。




hoso89 at 00:53|PermalinkComments(4)ダンナ趣味 

2006年02月26日

親友エビの結婚式後日



前日爆眠していたそらくんが早朝三時半から起床。何故か「パパやだー」「パッパやぁーだっ」と早朝絶叫サービスがはじまった。

俺のこと嫌なら起こすなよ。まーいつものことなのでとりあえず「おにぎり食べる?」と聞くと「うん」とうなずいた。腹減ってるだけかよっ(怒)。

細川家では寝る前、テーブルにそらくん用のおにぎりとお茶を用意しておく風習が有る。

なんかすげー「むしゃむしゃ」食べてるよ。そのうち「マジレンジヤ、見る」とチャンドンゴン風の片言で要求してくる。

早朝四時半だぜとドア入り口の隙間に新聞朝刊が・・・・・驚きを隠せないダンナ。(屋久島では交通の便が悪いので夕方に朝刊が届く)

こんな朝早くマンガやってるわけ無いよ。と思いきやアンパンマンあと少しで始まります。そのあとはキテレツ大百科。そのあとはスーパーヒーロータイム。

神様ありがとう。

早朝から大騒ぎしている馬鹿親子にきっと隣の部屋のひとは迷惑し怒っているかも・・・。ドキドキ。

ボウケンジャーを見てたら、嫁さんもみんな起きたので朝食たべて帰ってきたら同じ階にエビ夫婦がいた。

「同じ階だったんだー。部屋どこ?」

「えっっっ!!!隣だったの」

「ごめん。うるさくなかった?」

そんなこんなで屋久島に帰らねばならないので空港行きバスに乗り込むと子供たちすぐに爆眠。

細川家の子供たちは親の大変さも知らずこの三日間は本当によくはしゃいでくれました。

でもそれが子供たちにとって大好きなエビ夫婦に向けてのお祝いなんだなと寝姿を見て思いました。

今も結婚式楽しかったねと長女うーちゃんは喜んでいます。

ありがとう。




hoso89 at 08:43|PermalinkComments(4)屋久島徒然 

2006年02月24日

親友エビの結婚式当日



北九州小倉に着いて2日目、朝普通に起きて10時頃から駅ビルで買い物。(全て嫁さんのための買い物)。11時半、着替えのためホテルに戻って送迎バスに急ぐが、少し余裕ができたのでコンビニに入るといらくん大暴走が始まってしまった。買ったお菓子をレジ付近でぶちまけてしまい。仕舞には大泣き。

やっとの思いでバスに乗り込むが式場に着いたとたん何事も無かったかのように親を置いてスタコラと式場に入っていってしまった。あわてて追いかけると入り口にはエビくんがお出迎え。

「おーかっこいいではないか」エビくんは高身長でスタイル抜群なのだ。

ダンナの結婚式では色が黒いだの言われ、白く化粧されて物凄くかっこ悪かったのを思い出してしまった。現在も家には写真が飾ってあるので嫌な思い出なんだなぁ。

細川家子供たちは我が道を行く感じでちっとも側には居てくれないし目が離せない。

席に着くと子供たちにはおもちゃが用意されていてやっとおとなしくなってくれました。

お心遣いに感謝。親としてとても助かりました。

食事も美味しい何たって料理の鉄人?らしき人が堂々とメニュー紹介してくれたのだ。

正直味わう暇も無く、どんどん食べているとやっぱり始まったよ。そらくんといらくんの大暴走。

細川家夫婦は交代で食事と世話をしながらエビ夫婦二人の幸せな場面を応援した。

ふぐ子さんとってもきれい。やっぱり一番だね。二番目はもちろん細川家嫁さんですよ。

「やっぱり結婚式はいいねー」「そうだねーもう一回したいね」細川夫婦もそんなこと言ってると、「うんちしぃちやたあー」やっぱりそらくんだよ。

それもひどい下痢で結婚式のために用意した衣装に漏れてわけがわからん状態。

ダンナがんばれ。すぐにそらくんを抱えてトイレに走り、処理するも着替えは無い。

「紙おむつの結婚式もそらくんらしいや」

なにかしら、いつもやらかしてくれるそらくんがダンナは大好きです。

お世話ができるのもそう長くは無いので一生懸命みてやろうといつも思ってます。

結婚式無事?におわりました。

ホテルに帰る前に大迷惑な男、そらくん熟睡。

その日の夕飯はそらくん熟睡のためどこにも出かけることができないので、駅ビルの惣菜売り場の惣菜。なんかむなしい。まー親子五人でここまでやってきたんだからそんなもんだよ。

明日は屋久島に帰るんだから早く寝よ。

エビくんとふぐ子さんは二次会たのしんでいるんだろーなぁ。

本当におめでとう。




hoso89 at 21:05|PermalinkComments(0)屋久島徒然 

親友エビの結婚式前日



エビくんの結婚式に細川家一同ご迷惑をかけてまいりました。

ダンナはほとんど記憶にないが二度目の福岡です。前回は仕事でそして今回はめでたい結婚式。

去年の3月頃からウキウキして準備をしていたのにやはり間近になるとドタバタとしてなんとか家族そろって北九州へ出発。

冬の細川家は毎年貧乏なので、バックの中には小腹へり用の握り飯持参して空港を乗り継ぎ福岡空港に到着。

家族皆が初めての高速バス?(西鉄バス)に乗り込に乗り込むと長男そらくんがぐずりだした。

「やだょー。もうやだょー。やだょぅ」と延々と一時間半、バスの床に這いつくばってダンナのの顔をうらめしそうに見てた。これが一番しんどい。まぁ高速バスは子供には長すぎるわいな。

小倉駅に着くとエビ夫婦がお出迎え。それまでへこんでいたそらくんに活気があふれた。

そらくんはお嫁さんのふぐこさんが大好き。まだ2歳だから許せるが大興奮で自分のちんちんに平手を食らわしてた。親は子供の世話でヘトヘトだよ。

エビ夫婦が用意してくれたステーションホテルは駅の上にあるホテルで部屋から新幹線が行き来するのが見れて子供たち叫んでます。周りの部屋はきっと迷惑しているはず。

すでに時間は午後四時半、とりあえず観光せねばと近くにある小倉城にタクシーで向かうが五時でお城閉城してました。残念無念。なんたって細川氏の城らしい。中に入って殿様気分を味わいたかったなー。

悔しいから長女うーちゃんに「うーちゃんのご先祖様のお城だよ」と大嘘こいてみたら。

うーちゃん城に向かって南無南無してた。

観光客らしき人は誰もいないが五時過ぎだからか、城の前の道はサラリーマンたちがぞろぞろと駅に向かって歩いている。歩くスピード半端なくはやい、これが都会風?。

サラリーマンたちの流れを中断させ家族で記念撮影を済ませてた。

リバーウォーク(ショッピングモール)で買い物をしようとするが疲れがピーク寸前。

腹も減り子供が歩かなくなったので鮨屋に入ってご夕食タイム。流石九州のうまい海鮮が集まりますね。

ふぐの握りやミンク鯨のさえずりなどなど高額すしを腹五分目ほどで押さえ。

また歩き魚町商店街をただ歩き小倉駅到着。

「お腹空いたね」

「とりあえずマックお持ち帰りしよう」

屋久島ではできないことをなんか色々できた細川家です。




hoso89 at 00:09|PermalinkComments(6)屋久島徒然 

2006年02月15日

家から異臭騒ぎ

夢のマイホームに引越して一ヶ月ほどたち、なんだか生活も落ち着いてきた頃、嫁さんがなんだか「臭うんだよねー」と言うのでダンナも色々とにおってみるがわからない。トイレの臭いをだすパイプに鼻を近づければ臭いことはわかった。「パイプが作動していないのかなー」とりあえず業者に連絡してみるとすぐに駆けつけてくれた。

その臭いの原因に嫁さん愕然。畳をはがして基礎の中をのぞくと白く泡立った汚水が溜まっていた。

排水パイプから汚水が漏れていた!!!!

ガスや汲み取り業者、大工さんたち総出の大作業となってしまい。

暗くなるまで作業が続き、一日目は終了。

基礎に除湿機を突っ込み乾燥させる。ダンナは生け贄となり、冬なのに窓を全開にしながら就寝。

その他家族はダンナの個室部屋を占領し快適に就寝。

二日目は消毒と消臭作業。

体に優しいはずの家が体に悪そうな家になってしまった。

その消毒液の香りは、昔(屋久島では現在もある)汲み取り便所のウジを殺す液体の香りであった。

家中すごい臭いだ。三日ほどで臭いも落ち着いてきて今回のことを色々とふりかえって考えてみると、部屋の異変や体調の異変があった。

冬の屋久島は乾燥注意報が出るほどなのに我が家は湿度90%、朝起きると窓の結露が以上で窓枠にカビが生え、植木鉢からもカビが生えていた。

体調は風邪をひいているわけでもないのに頭痛がして首から肩が以上にコリ夫婦そろって元気がなかった。

とりあえず早く気が付いて良かった。

ダンナはいつも臭いと言われショックを受けていますが、嫁さんの鼻の敏感さに完敗です。

ダンナの体臭は臭いと認めます。




hoso89 at 10:51|PermalinkComments(2)家と開拓 

2006年02月11日

いらくん退院するが・・・・・・。

いらくんみたいな子供にとって病院のベッドの上で点滴を続けるということはどんなにストレスになっていたことでしょう。回復してきたいらくんは点滴を抜いてしまい1月10日には退院することになりました。やっと動き回れる家に帰ってきたのにいらくんはまた事故にあってしまったのです。

1月15日

ダンナが「しっかりと子供の面倒をみてくれ」と念を押して言ったにもかかわらず事故が起きました。

何故か嫁さんはいらくんを連れて草むしりをはじめていたらしく、目を離したすきに凶暴な1羽の鶏に跳び蹴りされ、頬をざっくり切ってしまったのです。

「パパー。いらがーー」という叫び声。

気が動転しまくっている嫁さんに平手一発。すぐに消毒、止血をしてダンナが車で病院へ運んだ。

今のいらくんは白衣を見るだけで怖がってしまうのにまた怖い思いをさせてしまいました。

なさけない親です。

結局いらくんは6針縫い、その日のうちに家に戻ることができました。

その夜、ついこの間、生死をさまようような事故を起こしたばかりなのに危機管理ができない嫁さんに離婚覚悟で説教しました。

夫婦で話し合いをして、ダンナの言うことをしっかり聞き、守ると納得してもらいました。

もし今回の傷が目ならば失明していたでしょう。いらくんは本当に何かに守られていると感じます。




hoso89 at 15:14|PermalinkComments(2)次男のこと 

2006年02月06日

波乱の2006年 ?

2006年1月6日、いらくんは1歳4カ月になって行動範囲が広がってきました。外に出て遊びたがるようになり、家の鍵や窓の鍵を一人で開けて出て行ってしまうこともあります。まだ母屋への引越しも終えたばかりで、家の外には釘やネジ、割れたガラスもあっていらくんを外で遊ばせることができる環境を整えている最中でした。ダンナは幼児安全法支援認定員の更新のため鹿児島へ行かなくてはならないので、中でも一番気になっていたアヒル池のことを嫁さんに小言のように細かく注意点を教えていきました。でも事故は起こってしまったのです。ダンナが留守中に一番恐れていたアヒル池でいらくんが溺れてしまったのです。全国的に寒波の影響で雪が降り、屋久島でも山間部で積雪がある寒い日にいらくんは池の底に沈んでいた。午後3時嫁さんが発見し、娘うたが隣のおばさんを呼びに行き、蘇生法により水を吐き出したそうです。救急車に乗り病院を2ヶ所寄り最終的に正常な自発呼吸になったのは午後9時くらいだったそうです。小さいいらくんにとってそれはとても長い戦いだったはずです。事故から一晩明けてダンナは鹿児島始発のトッピーでいらくんにのいる病院に直行。そこで見たいらくんの顔は命を削られたように弱弱しく見えせつなくなりました。「最近覚えたバイバイやアワワワをしてくれない」と嫁さんが言うので脳障害が残っているのではと心配していましたがダンナの顔をみたいらくんは以前のように「アワワワー」と微笑んでくれました。ダンナに涙がこぼれました。こんなふうに子供を守ることができなかったのは親の責任です。深く考え、これからは子供を守ることが親としての役目だと感じました。いらくんは身をもって私たち夫婦にたりないことを教えてくれました。いらくんが苦しい時にそばにいなかった父親をゆるしてください。ダンナが持っている救命救急の知識を嫁さんにも教えて親として我が子を守っていく意識を高めてゆきます。いらくんのため力をかして下さった方々に感謝です。神様、奇跡をありがとうございました。




hoso89 at 09:08|Permalink次男のこと 

2006年02月03日

激動の2005年から波乱の2006年へ



皆様方、長らくブログができる状態の細川家でなく、大変ご心配をおかけいたしました。

細川家は本当に激動の2005年から波乱の2006年となってしまいました。

リアルタイムではないけれどブログができなかった時期の細川家を思い出しながら少しずつご紹介していこうと思います。

2005年11月初旬、やっと夢のマイホームが形になるが電気関係が終わらないというか電気屋さぼり過ぎです。1日に30分ほどやってきては一箇所ほどいじくると帰ってしまう。パチンコ屋の前を通ると電気屋の車が止まっている。毎日そんな繰り返し。

12月になっても電気工事が終わらない。部屋のスイッチが届かないと言い張ってたが実際は注文していなかったことが判明。

電気工事が終わるまで待っていられないので、引越しを始めるが生活を始めても電気工事は一向に進まないのでだんだんと細川家怒りモードに突入。

東京に里帰りするので留守の間に終わらせるというので、鍵を預けて屋久島を離れるが戻ってきても電気屋は来た形跡がないのでした。

屋久島にも寒波がやってくるがエアコンが付いていないので巻きストーブが大活躍。でも火がつくまで時間がかかるので朝の寒さは意外と厳しかったのです。

それもそのはず、窓の外を見てみると屋久島でも雪景色になっていました。

結局すべての工事が終わったのは年末に近くなってしまった。

本当にだらしない電気屋だったがなんとか住めるようになったのでホッとした。

最後に大工さんたちやその他の職人さんは本当によくやってくれました感謝です。

大満足のマイホームになりました。




hoso89 at 13:27|PermalinkComments(0)屋久島徒然